トンチンカン先生の家族旅行

息子夫婦と孫2人と私の計5人、平成最後の家族旅行 坂部孝夫(20190508)


sua44同期生の皆さま、ご無沙汰いたしております。お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
さて、久々の近況報告ですが、どうも、昨年春3月に行きました台湾での仕事(こちら)がキツ過ぎて、つまり、摂氏4度の日本からイキナリ摂氏27度の台湾南部での気温の中で、 しかもモモヒキ姿で悪戦苦闘した結果、外国嫌いになってしまいました。
今思えば、4泊5日の間、全て工場環境指導をしたのです。物見遊山はありません。延べ9工場の環境指導です。それもほとんど屋外の仕事です。
第一日目のモモヒキ姿が、後の工場環境指導の仕事まで尾を引きまして、さらに帰国後も体調不良、疲れやすい、すぐ風邪気味など大変でした。

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体調が良くなったのは、夏も終わりごろでしたが、外国嫌いになり、その後は海外での仕事を断る状態です。 しかし、そんなことばかり言ってはいけないと、飛行機に乗ることから体を馴染ませることとして、先日、鹿児島、宮崎へ家族旅行をしてきました。
息子夫婦と孫2人と私の計5人、2泊3日の旅です。

セントレア(中部国際空港)からテイクオフ。観光当日は、好天に恵まれ、桜島がくっきり見えました。 噴火している様子もしっかり見え、孫は、「マグマだ。マグマだ。」と言ってはしゃいでいました。 私たちは、鹿児島空港からレンタカーで、特攻隊出撃基地の跡地に出来た知覧(ちらん)特攻隊平和祈念館、知覧武家屋敷跡を見学しました。 鹿児島と指宿の間にある知覧は静かな街並みです。

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その後、鹿児島市内の城山(西郷隆盛最期の地、桜島が綺麗に遠望できる丘)、九州新幹線鹿児島中央駅ホーム(孫の希望)に立ち寄り、 鹿児島港からフェリーに乗って噴火している桜島の裾野に位置する桜島温泉(硫化鉄温泉)で1泊したのでした。

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桜島温泉は小説『放浪記』で有名な小説家 林芙美子のお母さんが仲居をしていた温泉地でして、 ホテルの前には『花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき』と刻まれた石碑の前に林芙美子像がありました。 林芙美子は尾道に出るまでの幼少の時期にこのホテルに母と一緒に従業員部屋で住んでいたとのことです。

孫は小学1年生の国語の教科書で「いろいろな船」という読み物を習い、その中でフェリーの話が出ていましたので、フェリーに乗るや、 すぐさま客室へ行きソファーに寝そべり、また、デッキにあがり自動車がどんどん船に入る所を見て、売店ではソフトクリームを買い、大変喜んでいました。
翌朝、林芙美子の石碑の周りをウォーキングしました。すると風の向きが変わったのか、急に火山灰が降って来ました。 細かい黒い粒子がフワフワと降下しているのです。道路を走る車は火山灰の砂塵を巻き上げながら通り過ぎます。 私たちのレンタカーも火山灰で汚れています(後に、孫は自動車の上に積もった火山灰に落書きをしていました)。 私は肩や腕に火山灰が付着しているので時々、はたきながらウォーキングです。
火山灰を浴びるという、ちょっと変わった経験をしました。これぞ、旅の醍醐味というものでしょうか。満足、満足。
朝食後、再びフェリーで鹿児島市内へ戻り、高速道路を走り、宮崎県の鬼の洗濯板で有名な青島へ、そして鵜戸(うど)神社を参詣しました。

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孫はこの4月から2年生です。鵜戸神社では、誰が教えたのか、賽銭箱の前で、お賽銭を投げずに柏手を打って、頭を下げ、 手を合わせた格好で「2年生になったら、運動神経がよくなりますように。勉強がよく出来ますように。」と小さな声でブツブツ言いながら手を合わせて拝んでいます。 それを見た私は、「何だ、それは。他力本願の願掛けじゃないか。もっと『しかり勉強しますので、頭がよくなりますように。』と言って拝みなさい。」と教えました。

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そして、霧島温泉郷で2泊目です。大きな露天風呂がいくつもあり、孫たちははしゃいでいつまでも湯に入っていました。
九州の鹿児島へ行くなら、絶対『焼酎』の飲み比べ、夕食時はボトルで注文と意気込んでいましたが、何てことない、一応、 豪華夕食と言われるホテルの夕食では、ほとんどすべて食べ尽くしたのでお腹が張ってしまい、生ビール一杯で終わりました。年には勝てないですね。

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最後の日は午後の便で名古屋へ帰ります。午前中、大きな社殿を持つ霧島神宮を参拝しました。 『日本発祥の地 霧島』という石碑があり、高千穂峡と同じくこの辺りは神話にあふれた神秘な場所です。なかなか良い所でした。 次回は高千穂神社などへも行ってみたく思いました。

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このような訳でして、楽しい家族旅行をさせていただき、息子一家には感謝をしています。 そして、帰りの飛行機から降りて、家路に向かう間、「今度はどこに行こうかね。」と次の計画に話が弾んでいました。

私も、もう73歳の年齢でして、老いては子に従え、そして孫に従え、の家族旅行でした。嬉しくもあり、淋しくもあり、平成最後の旅路でした。

それでは、皆さま元気にお暮しください。人生3ケタ、100歳時代です。次は『令和』の時代です。私ももう一働きをする気持ちでいます。
『令和の時代』、ご家族の皆様ともども、ご健勝とご多幸を祈念致しております。

“平成最後の近況報告”ご笑納、ご一読頂き、有難うございました。
                                   平成31年4月27日(土)記