浅見君の思い出            坂部孝夫(20200131)


浅見君とは大学4年間、静岡大学農学部農芸化学科学生として一緒に学びました。 農芸化学科は27人と少人数でしたので、全員が親しい友達という間柄でした。
3年生からは磐田の地での勉強です。 農芸化学科校舎の1階に学生実験室があり、そこで、全員が土壌学実験から始まり、 生物化学実験、微生物学実験など一通りの農芸化学基礎実験をするのです。 浅見君は ASAMI KIYOSI ですので、学籍番号が一番です。 私は10番ですのでとなりの実験台でした。 そして、実験がうまくいかないときは、常にその中から、 数名の勇士が集合してどうしようかと対策を練ったものです。 彼もその一人でした。
洗浄びん
ある日、浅見君と同じ実験台を使用しているA君が蒸留装置で天然物の水蒸気蒸留を しているのですが、どういう訳かコルクのところから蒸気が漏れるので、 A君は洗浄びんでコルクのところへ蒸留水を差し、蒸気の漏れを防いでいるのです。 A君は、10分に1回の頻度で、さながら機械に油を差すような姿で、しかも、 すました顔で、蒸留水差しを行っているのです。 浅見君は、A君の様子を見て「うまくやってるねぇ。」と私の顔を斜めに見てウインクし、 ニコニコしながらA君に感心している『ふり』をしているのです。 非難すること無く、上手にその場の雰囲気を作るのです。 浅見君は本当に大物でした。

また、ある夏の集中講義の季節。ある専門分野の先生が本学に在籍していないと、 他大学から先生を招聘して講義を行うのです。この場合、『日本農業史』という 講義と記憶しています。 招聘された先生が4~5日講義をして、私たちは毎日その授業を聞くのです。 つまり、これが集中講義です。当時のことですので、エアコンもない講義室で 長時間の受講です。 例のごとく、浅見君は最前列右端の席、これは、席の指定はないものの、彼の定席です。 そして、長時間の講義ですので、受講に飽きたのか、浅見君は教室の後方を見渡しては、 例のニコニコ顔。 後方の席にいた私たちはその仕草に同調して、ニコニコ顔、そんなことが重なること十数回。 ついに集中講義をしている教授、確か東京大学から招聘された先生だと記憶していますが、 「君、ちょっと静かにしてもらえないかねぇ。」と浅見君を叱るのです。 しかるに、集中講義の教官からお叱りを受けた例はこれが後にも先にも全く無いことでした。 偉大なり、浅見君。

その後、四十数年経ち、私たちは65才を過ぎたのです。 私は環境コンサルタント業を営みながら、大学の非常勤講師もしていました。 環境問題は新しい学問分野で、人材が少ないこともあり、日本国内ばかりでなく、 海外まで出かけて工場の環境対策のアドバイスや大学で講義、また、 環境問題研究会に参加することもありました。
ある時、北九州で環境問題研究発表会のお誘いがありました。 その時ちょうど時間がありましたので、一度浅見君に会いたいと思い、 さっそく連絡を取ったのです。彼は二つ返事で承諾したのです。 本当に嬉しい限りでした。

asami

当日、JR鹿児島本線の赤間駅で待ち合わせです。そこから、彼の自家用車で、 宗像大社(むなかた・たいしゃ)、ひびき灘工業地帯などへ案内して頂きました。 浅見君は運転しながら、奥さんのこと、娘さんのことを例のニコニコ顔で お話しするのです。本当に幸せな家族だなぁ、と強く感じたのでした。 そして、私の希望で、アジアの近現代の美術作品を収集し展示する 『福岡アジア美術館』(福岡市博多区)を訪ね、その喫茶室でコーヒーを飲みながら、 時間の過ぎるのを忘れて、私たちの近況を紹介し合ったのです。本当に楽しいひとときでした。

このたび、浅見君の訃報を知り、大変悲しく、淋しく思う次第です。浅見君。本当に有難う。

space 令和2年1月  坂部 孝夫