浅見君の思い出Ⅱ                   井上建雄(20200203)


名簿 浜松教養部のオリエンテーションで配布された名簿には、募集要項通り100名の 学生が、出身校、出身地とともに記載されていた。
しかし、実際に浜松に来ていたのは88名だったので、12名が入学辞退したことになる。
関東より北の学生は、浅見潔くん(新潟)、松本三郎くん(〃)、星茂くん(宮城)、 佐藤学くん(山形)と僕(〃)の5人。
浅見くんは学生寮(静涛寮)に入っていて、寮の廊下を西側に突き当たった 北側の六畳ほどの小さな部屋に、何年も年上に見えた教育学部の岡田さんと 一緒にいた。
静涛寮は学生食堂の近くだったこともあり、昼休みや休日、小部屋を訪ね、名古屋弁 で話す岡田さんの話を聞いたり、ギターをつま弾いたりして楽しい時間を過ごした。

積極果敢、明朗闊達な浅見くんであったが、ある日突然、「好きになった‘コ’ がいる」と無謀というか、早々と、しかも堂々と宣言した。
浜教 その相手は、体育実習のソフトボールで顔面キャッチをやってのけたり、打っ ては三塁ベースにむかって走り出すなど、自然あふれる水窪出身の松島さん。
そうした天然自然のかわいさから、教育学部男子学生の好感度一位のアイドル的 存在だった。
その男子学生のなかでも、浅見くんの最強のライバルとなったのは、毎日、 手を伸ばせば届く距離で寝起きしている同室の岡田さんだった。
しかし、半年もしないうちに、教育学部浜松分校の統合閉鎖によって、 全員が我々より一学年上だった教育学部生は、ひとり残らず静岡へ 去っていってしまった。
それによって浅見くんの恋の一件がはかなく終結してしまったのか、それとも もっと以前にその名の通り‘潔く’手を引いて降参したのか、僕は何も知らない。


space 秋葉山

浅見くんは、僕からするとかなり大人じみた話しをすることがあって、 田舎育ちでウブな僕は戸惑うことがあったが、探索能力に秀でていて、 どこからか探ってくる予想試験問題(過去問)やうわさ話はずいぶん役立った。

製茶 三年生磐田での授業、調理台のような大きな木製の実験台に学籍番号順に 5、6名宛て割り振られ、農芸化学実験の日々が続いた。
課題の実験とレポート提出をやり遂げれば、いつ下校退出しても構わない。
学籍番号の若いアイウ・・・の実験台は比較的静かで、実験を終了するのも 早いグループだった。
とりわけ浅見くんは、手際よく実験を済ませ、海外移住研、テニス、 社会勉強、アルバイトなどのため、早々に退出するのが常だった。

余談になるが、学籍番号後半の実験台からは、松本三郎くんの密閉 フラスコ水蒸気爆弾など、しばしばモノの壊れる音がした。
ある時、ア~ッという声とともにそれまでにない大きな破壊音がした。
原島栄一くんが、小物のビーカーやフラスコに飽き足らず、ついに 大物のデシケーターを丸ごと床に落っことしたのだった。

花壇 四年生応用微生物研究室、大橋真一、僕、中沢悦子、戸田聖夫、浅見 潔の5人。
近藤先生、飴山先生、野崎さんとの文字通り和気あいあいの研究室 で、今振り返ると、僕にとってはもちろん皆にとっても人生最良の 時期だったと思う。
両先生の明るさ、寛容さに加え、とんでもない話題を振って皆の笑い を引き出したりする一方、冷静沈着な判断、行動をする浅見くんの 存在は、いつも研究室を愉快で快適な場にしてくれた。

近藤先生が5人を自室に集め、卒論テーマをそれぞれに言い渡した後、 就職が決まったらその当人負担で祝いの場を設けるという提案が あった。
三年次終盤からすでに就職活動に励んでいた浅見くんが、当然の ごとく、最初のビールを振る舞うことになった。
暖かさから暑い季節に変わると、就職祝いのビールでは間に合わ なくなり、たびたびアミダくじを引いては、明るいうちから ビールパーティという発酵醸造の研究室だった。
皆、アルコールに強く、野崎さんもエッちゃんも、誰に負ける ことなくよく飲んだ。
近藤先生のワイン・日本酒談義に加え、飴山先生の愉快で ロマンチックな即興の物語りが心地よい酔いを増幅して くれた。

space 白樺湖


綿栓 頭と足のバランスが良く、アルコールランプで焦がして何度 も試験管に出し入れしても形の崩れない綿栓作りは職人業に近い。
そうした作業の時、たいていの人は無口になるが、器用な浅見 くんの場合は手も口も同時に働いた。
他人のクセ(身振り、口ぶり)を面白おかしく話したり、その マネをしてみせて皆を笑わせ、綿栓作りの手を休めさせてくれた。
浅見くんに劣らず人間観察に秀でていたのは農産製造の大宮勇 くんで、ふたりでクラスメートのほぼ全員にあだ名をつけた。
大宮くんと浅見くんがつけたあだ名は、 ホラボン、ガマス、オヤジ、ベイビィ、ドケチ、ニヤリノナカツジ、 キキカジリ、オトシオギソ、トモチャ、リッタイノヨシダ、 カニノソウダ、デンスケ、ソメゴロウ、コウタイシ、イヤミ、 トボケボシ、・・・
あだ名をつけられた本人が分からなくとも、周囲の者はすぐ理解、 納得する命名だった。

space コンパ

space コンパ2


卒業・就職、浅見くんは佐賀県鳥栖市、僕は北海道標茶町熊牛原野。
数年後、浅見くんが九州から仙台に転勤したので、北海道から 会いに行った。
互いに新婚で、女房同士で出身地などを紹介し合いながら「夫は 山形・・・」、浅見夫人「山形って新潟の上だった?」。
側で聞いてた浅見くんが、すかさず「新潟の上? 新潟の上も、 山形の上も空だよ」。
以来、僕の女房は、浅見くん=新潟の空 になってしまった。
卒業後、浅見くんと直接会ったのは、この仙台での一度だけと なってしまったのが悔しく、なんとも残念でならない。

浅見くんが出席した唯一の同期会は湯布院で開催された時と聞く。

space 湯布院

2016年同期会焼津、2018年同期会熱海の開催前後に、電話で何度か、 浅見くんと近況や同期生の話を交わすことができた・・・。

いつも笑顔を絶やさず、いつも素早かった浅見くん。
だからといって、そんなに早く逝くことはないだろうッ! と大きな声で叫びたい。

space令和二年二月 井上 建雄



昨年春、浅見くんとラインの友達登録、早速ライントーク
の交換を始めた。
最後となってしまった浅見くんからの送信文は、
・・・八海山吟醸酒美味しかったでしょうね~羨ましいかぎり!
この時、すでに闘病生活に入っていたかもしれないと思うと
“羨ましいかぎり!”の文字があまりにも切なく胸に迫る。
ただただ悲しみが溢れ出るだけで、何も言葉が出てこない。
space井上建雄

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