さてさて、同期の皆さま、引き続きお元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
でも、コロナ禍の中、悪戦苦闘しているものとご推察申し上げます。
実は 私事で恐縮ですが、このコロナ禍の中、また、線状降水帯が発生している中で
無謀とも言える紀伊半島を西から東へと一周する旅をして参りました。
旅をしたいという動機の一つは、学生時代に安間君(鈴木君)と一緒に紀伊半島一周
の旅をしたことの『思い出探し』です。旅行の第2日目、安間君が本州最南端の地、
潮岬で足を滑らせ、お尻が岩の間にしっかり挟まり、カバンとカメラを右手と左手に
それぞれ持ってバタバタした思い出は昨日のようによみがえります。私が一生懸命に
救助したので良かったものの、救えなかったら太平洋の藻屑となっていたかも知れま
せん。命の恩人です。その後、私の母方の実家で彼と一緒に一晩過ごした思い出もあり
ます。今回はその思い出を訪ねての旅行です。そして、私の母方の実家、お墓などを
巡りたいというものです。紀州への旅は50年ぶりの旅でした。
例のごとく息子一家4人と私で行って参りました。雨ばかりの日でしたが、温泉に
つかり、いつもは食していないハイレベルの夕食を食べ、お酒を飲んできました(もち
ろんと言うか、取りあえず、今のところ感染していません。そして、雨で体が濡れて
風邪を引くという状況にもありません)。 それでは、いつもの様に、始まりぃ~。
始まりぃ~。
<第1日目>
朝、既に雨は強く降っています。孫たちは布団から出たばかりで、朝食も洗顔も
していない状態です。幸先がよろしくない状況ですが、頑張って行くこととしました。
自動車は私の所有物件ですが、運転は息子に全面的に依頼し、午前8時に出発です。
安城市から国道23号に入り、そのまま伊勢湾岸自動車道を通過すると既に四日市です。
御在所サービスエリアで朝ご飯のおにぎり、ジュース、お茶などを買い込み、再びスタート。
残念ながら、雨は降り続け、景色も良くありません。東名阪国道に入ると少し晴れ間が
出てきました。そして高峯サービスエリア(奈良盆地が眺望出来ます)では日の光が差し
込み、きれいな奈良盆地の姿が見えます。少し霞がかかり、聖徳太子がいるような幻想的
な景色でした。
勢いよく下り坂を走り、第一の目的である生駒山のケーブルカーに乗ります。孫に
ケーブルカーの乗車を体験させるための目的です。ただそれだけです。孫たちは、電車の
中に階段があることに驚き(電車が急坂を登るので内部は階段状にしつらえてあります)、
ロープで引っ張っている様に見えるケーブルカーを不思議そうに見ていました。生駒駅
から宝山寺駅まで7分程度でした。そしてすぐ折り返して帰ってきます。

その後、奈良公園、東大寺へ行きます。コロナ禍で観光客は少なく、10枚150円
のシカせんべいを買うといきなり何頭ものシカが寄ってきます。
いつもの通り、シカせんべいを4つに割り、少しずつシカに与えます。
孫との奈良行きは、幼稚園児で運賃が無料であったこともあり、何度も行きましたが、
これで4回目になります。シカに慣れた孫でしたが、今回はシカせんべいの要求が相当
キツイので、孫は腰が引けた状態でシカせんべいを与えていました。
奈良を後に、いよいよ紀伊半島の入り口である和歌山へ出発~ッ。
と、その前に
『せんとくん』とツーショットで
記念写真をしました。

奈良を出発。一路和歌山へ急ぎました。目的地は和歌山市街から西へ10Kmほど、
標高50mほどの小高い丘にある国民休暇村『加太(かだ)』です。ホテルの玄関ホールの
突き当たりにある全面ガラス越しに紀淡海峡が目の前に見えます。海峡の向こう側には
淡路島が見えます。潮は左から右にかなりのスピードで流れています。大きな船が船首を
少し右に傾けながら潮の流れに逆らって航行しています。すごい光景でした。到着したのが
夕方、出発したのが雨の中でしたので良い写真が撮れませんでした。泉質は「ナトリウム-炭
酸水素塩・塩化物温泉」と言うことで、本格的な天然温泉でした。
<第2日目>
いよいよ、今回の旅の目的の一つである、潮岬を目指します。雨は小雨状態で、
日差しもあります。和歌山からは高規格道路です。料金はタダ、信号は無い、など
軽快な走りです。1車線ですので、途中交通事故の現場に遭遇し、20分ぐらい
足止めでしたがその他は順調です。そして、午前11時ごろ、高規格道路の終点まで
行くと、そこには、『道の駅すさみ』がありました。ちょっと早いですが、お昼ご飯を
食べることにしました。やはり、コロナウイルス感染の影響でしょうか、食堂には人が
パラパラです。
ここまで来たらその土地の名物を食べたいと思って『すさみ名物:イノブタ肉うどん』
を注文しました。イノブタはイノシシと豚の交配種です。肉は軟らかくて、味はイノシシ
の「ぼたん肉」です。(イノシシの肉は牡丹肉と言い、美味しいのです。)うどんは讃岐
うどんのように腰がありました。美味しかった。でも、おかわりはしませんでした。そして、
本州最南端の潮岬まで約20Kmと最後の走りです。
着きました。着きました。潮岬です。取りあえず、灯台を見ておこう。安間君と一緒に
見た灯台です。懐かしい~。

そして、鮮明によみがえった記憶、彼が太平洋の藻屑とならなかった場所にも行き、
その場所で現在の元気な彼の顔を思い出し「50年振りに来たぞう~ぅ~。」と叫ぶと、
懐かしさが一層増し、すぐ横に安間君が居るような気持ちになりました。ひと安心。

その後、「太地町立くじらの博物館」へ寄り、その足で、『那智の滝(なちの滝)』を
訪れました。雨は強く降っています。滝のある杜(もり)は薄暗く、いかにも霊験あらたか
に感じます。でも、雨が強く、那智の滝は水量が多く、いつもより強く、激しい感じです。
そこで、私は何か記念になるものを買おうと思い社務所のお守り販売所で物色していましたら、
可愛い社(やしろ)の飾り物がありました。社の入口には黒いカラスが付着しています。
足が3本です。神社の人に聞きましたら、「八咫烏(やたがらす)と言い、神様のお使い
です。」と説明がありました。(下の写真を参考に)これを一つ買って、滝まで行きました
(1000円です)。

那智の滝は滝そのものがご神体です。その滝つぼの近くに行きますと、滝からほとばしる
水のしぶきが横から飛んできます。傘を上にさそうか、横にさそうか迷っているうちに、
ずぶ濡れになってしまいました。どうも、神様からのお仕置きではないかと思いました。
何も悪いことした見覚えがないのに・・・。この様なわけで、ぬれた姿で本日の宿舎
『ホテル浦島』へ急ぎました。

第2日目は、見学するところがあまりにも多くて疲れてしまいました。今日の宿は、洞窟
温泉で有名な紀伊勝浦の「ホテル浦島」です。旅館専用の連絡船に乗りホテルの玄関まで。
そして、ゆっくりした夜を過ごしたのです。
<第3日>
いよいよ最終日です。今日はホテル浦島から我が家まで帰るのです。雨は小降りになって
きました。熊野川のほとりにある、熊野速玉大社(くまのはやたま大社)にお参りです。
参拝者はほとんどいません。
そして、熊野川を渡って、三重県に入ります。七里御浜を右に見て進みます。いよいよ
第2の目的である、私の母方の町、『熊野市』に入りました。熊野市の観光名所は、鬼ヶ城、
獅子岩などが有名ですが、雨は引き続き降っているので岩の上で滑って怪我をしてはいけ
ないので、この2カ所はパスして、『花窟神社』(はなのいわや神社)へ行ってきました。
日本でも最古の部類に入る神社だそうで、ご神体は滝ではなく『岩壁』でした。なかなか
霊験あらたかな雰囲気でした。写真の奥に見える家屋は山門兼社務所のようでして、ここで
『絵馬』を買いました。ご神体は断崖絶壁の岩壁です。高さが20~30mありますので、
カメラに収まらない。撮影はできませんでした。

それから、走って、走って、我が安城へ到着したのが午後5時でした。
私が小学生の頃は、朝一番(午前5時ごろ)の名鉄電車に乗り、国鉄関西線に乗り換え、
参宮線に乗り換え、紀勢東線(昔は尾鷲が終点でしたので、紀州の東側と言うことです)
に乗り換え、尾鷲からは矢ノ川峠(やのことうげ)を乗り合いバスで2時間ほど走り、
熊野へは午後7時ごろ到着したのです。それを思えば、熊野は本当に近い場所になったと
感じました。叔母さんはすでに亡くなり、息子さんの時代になっています。和歌山県新宮
市に住んでいるようでして、会うこともなく通り過ぎました。
今回の旅は、私の祖父母の50年ぶりの墓参りを考えた結果の旅です。子供の頃、お墓
参りをした覚えがあります。お墓の斜め上方に汽笛を鳴らしながら蒸気機関車が走って行
ったという記憶があるのです。祖父母の家は既に跡形もなく、コンビニの駐車場に変わっ
ていました。お墓どころか、お寺もよく判らず終わってしまいました。しかし、実家の周
囲の雰囲気は十分残っており、懐かしく思いました。木之本小学校も、その校名も変わらず
にありました。
そしてもう一つの旅の動機は、学生時代、どうしてこの様になったのか今では思い出せ
ないのですが、クラスの親友、安間知明君と大阪から伊勢方面へ抜ける紀伊半島一周の
2人旅を思い出しての計画でした。熊野市の叔母さん(母の妹)の家で一泊した思い出が
あります。
これらの思い出を胸に、旅をしました。もう二度と行けないのではと思うと様々な思い
出のある景色をしっかり目に焼き付けての旅でした。
それでは皆様、ごきげんよう、さようなら。お元気にお過ごしください。
鈴木(安間)君も元気にお過ごしください。バイ、バイ。