集合場所も二転三転したが、天気も直前の予報では雨から曇りのち晴れに変わった。
内田は、この日のためにタイヤを新調し、ピカピカに磨き上げられた車で登場。
実は、彼が今回この会に参加するにあたっては新幹線などに乗るのを家人が快く思って
おらず、車で行くなら承諾するとのことだったそうだ。
5人を乗せた車は、ディーゼル車にもかかわらず室内はガソリン車と変わらないくらい静
かで、快適に東海北陸自動車道を走り始めた。途中で簡単な昼食をとり、一路ひるがの高
原へ向かう。次第に山並みが近くに見えるようになり、緑色の中に赤や黄などが混じった
山々が美しい。
2時過ぎにはホテルに着いたが、その前に飲み物を調達しようと車で近くの店を探す。
吉田和が自慢のスマホで近所の酒店を検索して、そこまで行くが既に閉店しており、道行
く人に聞こうとしても通行人もいない。道の駅に行ったが、そこでは酒類は売っておらず、
酒店を聞くとホテルの近くにあるとのこと。戻り道にあった店に入ると、そこは高原牛乳
やヨーグルトなどの乳製品を主に売っていたが、目的としていた酒類は無し。その店の店
主に再度酒店のことを聞くとホテルにほど近いところにある食品店を紹介される。その店
の中に入ると野菜や雑貨と共に酒類も置いてあり、ビールや酒などを調達することができ
た。土地勘のない所では往々にしてこのようなことがあるものだ。
ホテルに着くと、吉田和が事前にネットで入手していた研究用の抗原検査キット
を取り出し、5人でコロナ検査。唾液を採り、検査液の入ったチューブに差し込み3分間待つ。
皆自分は大丈夫とは思ってはいても、検査結果が出るまではやや心配顔をしている。
コントロールの線の下にもう一本線が現れるとアウト。全員大丈夫と分かり、その試験
チューブを記念撮影する。
吉田和によれば『本人は参加したかったのに、内田の奥さんがコロナを心配しており参加を
決めかねていた。抗原検査キットは内田の奥さんに安心してもらおうと、私が準備した。
もし陽性者が出たら、もう一部屋追加する予定だった』とのこと。
部屋数は2部屋とってあったので、酒のあまり飲めない吉田和と内田が一緒に、もう一部屋
に牧野、吉田義と私が入ることになった。
間もなく我々の部屋ではビールが並べられ、先ずはコロナにも感染せずこうして旅行にも
来れることに感謝して乾杯。
喉の渇きもあり、ビールがうまい。我々が呑んでいる間に、内田は長距離運転の疲れもみせず
吉田和とせっかく来たのだからと紅葉の美しい付近の散策に出かける。
近くには分水嶺公園があり、標高は約 875 メートル、「長良川」の源流域で大
日ヶ岳から流れ出た水が南北に分かれていく「水分かれ(みわかれ)」として知られ、南は
長良川となって太平洋(伊勢湾)へ、北は庄川となって日本海(富山湾)へ注ぐ。
夜も明けてきたので朝風呂に行くと、昨日とは違う小雨に煙る紅葉が美しく眺められた。
昨晩あれほど腹いっぱい食べたり飲んだりしたのに、朝食のテーブルに着けばけっこう食
べられるものだ。朝食が始まると、さっそく牧野が明け方一人でビールやワインを
飲んでいたことなどが話題となり、朝から話がはずむ。
ホテルを後にして、紅葉の美しい桜山八幡宮の境内にある高山祭屋台会館を訪ねる。
そこを出て古い町並みに行くと、若い旅行客にあふれており、古い町屋が土産物店とし
て繁盛している。我々も一軒の土産物店に入り、飛騨名物の赤蕪の漬物などを買う。
そこの店員さんに食事処を尋ねて、紹介された肉屋直営のレストランに行く。
前夜の食事や今朝の朝食でもおいしいものをたくさんいただいた後なので軽く済ます
つもりであったが、一同飛騨牛のハンバーグ定食を食べることになった。
その店の壁には、作家の開高健がアラスカ辺りで釣ったと思われる大きな魚の剥製標本
などがたくさん飾ってあった。
おいしいハンバーグ定食をペロリと平らげて、また内田の車に乗り込み帰途に就く。
腹の皮が突っ張れば目の皮がたるむと言われるが、車中でうつらうつらしながら聞く
よもやま話はいい子守唄。この間も内田はしっかりと運転に励んでくれ、気がつけば
岐阜駅に到着していた。一泊二日の楽しい旅も終り、三々五々帰途についた。