初夏に咲く花は、春の花に比べて開花期間の短いものが多いが次々と主
役が変わるので楽しい。脇道をしばらく進むと、ニオイバンマツリがジャスミン
に似た強い香りを放って咲いていた。この花は咲き初めが紫で日毎に淡くそして
白へと変化するので、次々に開く花が重なって実に美しい色合いだった。
ニオイバンマツリの花がピークを迎える頃に、甘いさわやかな香りのクチナシの
花が追いかけるように咲き始めたが、バンマツリの香る余韻に打ち消されたため
だろうか、気づいた時にはクチナシの一番花はクリーム色に変わっていた。庭に
植えられたクチナシは枝を半球状に刈られ、生け垣に植えられた枝はサザンカ
などと一緒に刈込まれていたために咲き初めの白い花を見落としてしまった。
旧東海道藤枝宿の名物として知られる「瀬戸の染飯(そめいい)」は、クチナシの
実で染めた「黄色いおこわ」である。今でもこれが店頭に並んでいるのを見ること
があるので、農家の庭にこの木が普通に植栽されているのもうなずける。私の散
歩エリアは旧東海道から離れた田中城址の東側になるので、この地域の農家の
庭のクチナシは目立つほど沢山はなかったが、実の付きが良い植物なので枝
を丸刈りしようが垣根にしようが、花さえ咲けば秋には自家用の一年分くらいは収
穫できるということだろう。
旧藤枝宿周辺では日常的にクチナシを利用する機会が多いことと思われる
が、特にハレの日の「染飯」は定番メニューとしてテーブルの中央に据えられて
数々のご馳走の引き立て役を担っている様子が目に浮かんできそうである。
子供の頃我が家の庭にも大きなクチナシの木が植えてあった。小正月には、
祖母や母は雑穀などと合わせて搗いた餅で「かき餅」を作り、子供はクチナシ
や紅などで染めた色とりどりの生地で「花団子」作りを手伝った。兄や私が捻
挫や打撲をすると、母は小麦粉に煮出したクチナシの汁と酢を混ぜ合せて練り
込んだ。鼻をつくような臭いの生地を患部に張り付け上から油紙を被せ包帯を
巻いた。翌日には腫れも痛みも治まって何とも奇妙な事だと思った。私の記憶
には、かき餅や花団子を作ったことよりも強烈な臭いのする張り薬の方が鮮明
に残っている。
妻は秋になると、クチナシで染めた“栗おこわ”を度々炊いてくれるが、
数年に一度はクチナシの実を町はずれの八百屋さんに頼んでいた。
今年こそ、枝をいただき挿木をして育ててみようかと思っている。
夏至の頃になると、ハンゲショウはひも状の細い房を出して小さな花を咲かせ
る。そして、花の咲く頃に合わせるように花房の近くの2~3枚の葉の表面が、葉
先の一部を残して真っ白に変色してあたかも花が咲いているように見せるが、地
味な花に代わり花粉を媒介する昆虫を呼び寄せるためのデモンストレーションで
あった。無事に授粉を済ませて花がしぼむ頃になると、白い部分に再び葉録素
が満たされて普通の青葉に戻ってしまう。色の変わった葉の表面が半分化粧を
したように見えることと、半夏生の頃に花が咲くということに因んでハンゲショウ
と命名されたという。
世界中には、このように自然を生き抜くための特別な機能を授けられた植物
が沢山あるが、何とも不思議な植物の営みにつくづく感心した。
若い頃より草花との係わりの深かった私にも、あまり関心のない植物がいくつ
かあってそのひとつがハンゲショウだった。去年の七夕の頃妻がこの花を植えた
いと言い出した。苗を求めるには時期を過ぎていたが幸いにも切り花が売られて
いたので一束を買い挿木をした。今年の春、大きなコンテナに植え替えた小さな
苗は順調に育ったと思ったが成熟に至らなかったことで花芽が出来ず、初花
(はつばな)は来年までお預けとなった。
食わず嫌いだったハンゲショウの経歴や素性を探っているうちに、この草も
中々捨てたものではないと認識を改めた。
古都の寺には多くのコケが群生して美しいが、そのような場所にはコケ玉に使
用できる種類のコケは少ない。相性の良いコケが見つからないために私の目指
すコケ玉に育ってくれない所以でもある。
コケ玉の原点は、深山の岩や朽ちた倒木を覆う緑のコケの美しい景観を、手
に乗るほどの小さな球体に映し現わそうとするものだ。しかし、そのような山のコケを
植えてもまともには育たないので、人の住む環境に順応して生えている中から探し
だそうと的を絞っているが、相応しいコケにめぐり会うことはめったになかった。
コケを球状の基盤に張りつけて、庭の木漏れ日の射す場所に2~3ヶ月ほど
置くと美しい「緑の玉」に成長する。やがて、周囲から舞い込んでくる草木の種
がコケの中に芽生えて深山の趣を醸し出してくれる頃にコケ玉は完成する。
完成したコケ玉を陶器の皿にのせて床の間に置いてみよう。きっと、さわやか
な風が部屋を吹き抜けていくことだろう。 これこそ私の求めるコケ玉である。