マツヨイグサの花は、日が落ちてから咲き始め翌朝日の出と共に
しぼんでしまう実にはかない命である。
この仲間の植物は江戸末期から明治にかけてアメリカ大陸から渡ってきた。
同じ仲間の白い花が咲くツキミソウはあまり普及することがなかったが、
黄色い花のマツヨイグサやオオマツヨイグサなどは里への順応が早く、
空き地などに繁殖したこともあって人々に親しまれるようになった。
そして、いつからかこれらの花も総称してツキミソウと呼ばれるように
なったという。
散歩道には小さなタイプのコマツヨイグサが生えていた。
もともと河原などの乾いた荒地を好む草なので田圃道に生えるのは珍しいが、
幸運にも早朝散歩のおかげでしぼむ間際の美しい花に出会うことができた。
中学生の理科の教科書「植物の遺伝」の項に、エンドウマメやアサガオ
などと共にマツヨイグサやオオマツヨイグサが記載されていたが、
近くの海岸に群生するこれらの草花は私にとっては少しも珍しいものでは
なかった。
大学に進んだ最初の春、私は教養課程の選択科目のひとつに「音楽概論」
を選んだ。労せずして単位を取得しようという不純な動機だったこともあって、
講義内容のほとんどは記憶に残っていないが、たったひとつだけ忘れること
のできない歌があった。竹久夢二の「宵待草」である。講師は、夢二の人と
なりを解説するやいなや素晴らしいテノールでこの歌を披露してくれた。
私達は、巧みな指導にのせられて限界を超える音域にもかかわらず繰り
返しては歌わされたが、人の世の悲しさやむなしさそしてせつなさがじんわり
と伝わってきて、こみ上げてくる感動を覚えた。この時ばかりは田舎に暮らす
意中の人の顔が目に浮かんだ。
夢二は、待宵草(マツヨイグサ)を詩的なやさしい響きと情感のある言葉
である宵待草(ヨイマチグサ)に詠み変えたという。
何年か後に、山梨県御坂峠の碑に綴られた太宰治の「富士には月見草が
よく似合う」の月見草はオオマツヨイグサのことであるという解説を読んだ。
社会人になって間もない頃の夏だったが、月が昇りはじめた海辺に咲く
オオマツヨイグサの花は寂しそうでありまた悲しそうでもあった。
そして、心に染み入るような月映えの光景は辺り一面に広がっていった。
私は当時を思い出しながら、房総の海岸を舞台に生まれたという夢二の
「宵待草」も、実のところは、オオマツヨイグサの姿に思い人の幻影を
重ねて詠んだものだったのではと思った。海岸の砂地には何種類もの
マツヨイグサの仲間が混生しているが、真っ直ぐ伸びた茎に黄色い端正な
花をつけるオオマツヨイグサこそ、月夜に映える最も美しい花だったからである。
宵待草の歌を口ずさみながらの早朝散歩はしばらく続いた。
梅雨も終盤になると、田圃道の周辺や畦畔の草はきれいに刈り取られ
何種類かの一年草や宿根草は今年の営みを終えた。そして、一部の多年草は
暑さを避けるように浅い休眠をしながら秋の訪れを待っていた。
今年の梅雨明けは8月までずれ込んでしまったが、ご丁寧にも猛暑という
置き土産まで残してくれた。暑さ大好きのイネだけが季節を独り占めして
元気に育つのを眺めていると何ともうらやましく思った。
田圃道を抜けて民家の並ぶ脇道に入ると、垣根越に見える庭もさすがに
暑さで疲れ切った様子だったが、片隅では白ユリとランタナだけが我が世の
春と言わんばかりに咲き誇り何ともアンバランスな光景だった。
昔は、ヘチマやヒョウタン棚のお陰で、縁側を一日中爽やかな風が吹き抜けて、
滲んだ汗も間もなく乾いてしまう程の快い暑さだったように記憶しているが、
エアコンなどで涼をとるようになってから夏の庭の様相もすっかり変わって
しまった。
最近の庭は外国由来の園芸植物で溢れ、日本の過酷な気象条件をものとも
せずに順応したかと思えばときには野に逃げ出しては住み着いてしまう輩も
出てきた。やがて、長い年月を経て田畑の畦道周辺や空き地などが終の棲家
となっていつの間にか定住権を獲得してしまうのである。このようにして、
私達の周辺は帰化植物の宝庫になってしまった。
そうはいっても古代に渡来した植物の中には、難なく市民権をいただいた
エリートもいて、万葉人に愛されては歌に詠まれるようになった幸せ者もいた。
旧盆の頃になると、庭には不釣り合いな白いユリがやたら目につくように
なったが、これが台湾原産の“タカサゴユリ”であることを知る人は少ない
のかもしれない。近縁のテッポウユリに似た花を咲かせるのでそれと勘違い
して大切に栽培されてきたのだろうか。一見して優雅なこの花は背が高く実
つきが良くて、やがて風が種を飛び散らしては周囲に生えまくる。翌年には
花を咲かせて実を結び、ネズミ算式の繁殖力で東名や国道の法面はアッという
間に占領されてしまった。恐ろしいことに、ササユリやヤマユリの自生地近く
まで広がる勢いである。
バブルの頃、「新ンテッポウユリ」という名でテッポウユリの改良品種が
登場して話題になった。従来のテッポウユリに比べてボリュームのある見事
な花に花屋さんは喜んだ。種を播き翌年には花を咲かせるという遺伝子を持
つタカサゴユリとテッポウユリとの一代雑種だということで、ユリの球根産
地の反響も大きかった。ところが、それから間もなく、日本原産のカノコユリ
やヤマユリなどを基にオランダで改良されたオリエンタルリリーと称する
画期的な品種群が輸入されるやいなや、またたく間に日本の花卉市場を席巻
してしまった。
この夏は連日の猛暑に“翻弄”された。老体の私には朝晩の暑さも過酷すぎ
てとうとう早朝散歩も臨時休業せざるを得なかった。何年か後には、周年エア
コンの世話にならないと穏やかな生活が出来ないような時代が来るのかもしれな
いと想像するだけでもゾッとして、一日も早く世界の温室効果ガス対策がしっか
り講じられることを念じながら過ごしたが、我が人生で最も長く感じた夏だった。
私は、庭で栽培している亜高山や深山由来の山野草達の悲鳴を聞きながら、
彼らの生きながらえる方策を講じてきたが、とうとう栽培棚に扇風機を据え付
けて、日中だけでも風を送るようにしてやった。
9月1日は雑節の二百十日である。最近の米は早生系が多いことから、すで
に穂が垂れたものや色づき始めたものが見られたが、私の子供の頃はようやく
出穂期を迎えて開花を間近にした時期だった。それに合せるように度々台風が
襲来したので、農家にとって「二百十日」は気を引き締めて農作業に努めなけれ
ばならないという戒めの意味を含んだ「標語」のようなものであり、すぐそこまで
来た秋の前触れでもあった。私は、いよいよヒガンバナの花が咲く頃だろうと思い
「彼岸の入り」 に合わせるように早朝散歩を再開した。例年なら10日を過ぎる
とあちこちに気の早い花が見られるはずだったが、今年はヒガンバナの名所で
さえも“秋分の日”を過ぎてから花が咲き出すという異例な彼岸となった。
早朝散歩の再開三日目、ヒガンバナの花を求めて散歩道のコースを変更し
しばらく歩いていると、畑の端で子供の背丈ほどに育ったコスモスが白やピンク
の花を咲かせていた。株元から茎が何本かに分かれその枝から四方八方に伸
びた細い枝先に咲く花の風に舞う姿に、待ちこがれた秋を感じてしばらく眺めて
いた。なんとなく半世紀も前に咲いていた花によく似ている品種だったので、
その頃と変らない風景が甦ってきて長い夏の疲れも癒される思いだった。
コスモスの故郷はメキシコの海抜1500mの高地だという。学名のcosmosは
“星座の世界”とか“秩序を持った宇宙”などという意味をもつラテン語から
きているそうだが、正に夜空に広がる“満点の星の瞬き”のように咲き群れる姿を
重ねて表現した言葉から命名されたにちがいない。このような素敵な名前をいただ
いて万人に愛されるコスモスは実に幸せ者だ。
近頃では田畑を利用した「お花畑」が各地に見られるようになったが、休耕田
では草丈が伸びず貧相な姿で花を咲かせるところが目立つようになった。畝を
高くしても、最近の雨の多さと田圃という排水の悪さが重なって生育を妨げて
いるのである。草花の原産地の多くが比較的乾燥した地域なので、生態を考慮
した種類の選択と栽培の工夫に配慮してほしいものだと願っている。