花の風景(散歩道の花)5

タワシ汁とゴーヤ  長池泰弘(2021.8.15)

 農家の建ち並ぶ脇道をどこまで歩いてもかつての夏の風物詩ヘチマ棚の ある風景を今年も見ることはなかった。アサガオさえもいつの間にかゴーヤにと って代わられようとしていて、もはや記憶に残っている昔の夏の象徴的な景色 は消えてしまうのかと思うと実に寂しい気持ちになった。
 大学で育種学を専攻することになって間もない頃だったが、ヘチマが食用に なることを知って驚いた。それまでのヘチマの認識といえば、ヘチマ棚とタワシと いう昔ながらのイメージでしかなかったからである。
 かつて県西部の袋井から浜北地域にかけては全国有数のヘチマの産地だ った。ヘチマの耐病性育種は師の研究テーマの一つであって、交配時期に なると専攻する学生達もヘチマ畑に動員となった。三時のお茶の時間には師 を囲んで講和を聞くのが恒例だったが、その時「ヘチマの未熟果をみそ汁な どの汁の実にすると結構うまい。いわゆる“タワシ汁”だよ」と笑いながら話された。 タワシ汁とはうまいことを言うものだと笑ったが、沖縄などでは常食にしている野菜 の一つだということだった。私は、残念ながら今日までタワシ汁を食べる機会は なかったが、先頃、市内の農家マーケット「まんさいかん」で若採りのヘチマを 見て、学生時代の記憶が次々と甦ってきた。


育種学研究室(ヘチマ試験畑にて)
左から、藤垣、中村、佐藤、戸津先生、長池、・・・

 昭和のバブルの絶頂期、私は静岡県特産の「花と野菜」の販売担当を命ぜ られて東京へ赴任した。その頃の首都圏の市場は、全国から新しい種類の野菜 や花が次々と入荷して活気づいていた。ニガウリ(後にゴーヤ)が入荷して話題 となったのもその頃で四国や九州から送られてきたものだった。
 幼少の頃、近所にニガウリを生け垣にしている家があった。成長した果実は熟 して表面が山吹色に変わるとそれが割れて中には真っ赤な実が詰まっていた。 種子がゼリー状の赤い果肉に包まれたものでとても甘くておいしかった。 ニガウリの本名はツルレイシと言い私達は略して「レイシ」と呼んでいたが、青い果実が野 菜だという話を家主からはついぞ聞いたことはなかった。

 野菜担当の上司にツルレイシの話をしたが、取り合ってくれないので、牧野植 物図鑑を開いて説明したが無視され苦々しく思った。野菜は、人々の生活の 営みと共に様々な歴史をたどりながら成長していくものなので、些細な歴史でも 参考になるだろうという思いからだった。この上司には“釈迦に説法”だったのだ ろうかと悔やんだが、どうやら相手を買い被り、“馬の耳に念仏”を唱えてしまった ことに気づいて思わず苦笑した。幼き日の“甘い”思い出は“馬の耳に念仏”の 一件から“苦い”思い出に変わったが、しばらくして、沖縄県の出荷が軌道にのると “ほろ苦い”レシピを伴って沖縄のゴーヤは全国市場を席巻した。 



野菊(ヨメナとノコンギク)  長池泰弘(2021.9.20)

 梅雨も終盤を迎えて田圃道の脇ではヨメナの花が咲き始めたが、足で踏まれ たり他の草と一緒に刈りとられたりして丈の短いまま花をつけるものが多かった。 近くの川の土手や草叢にはヨメナに似たノコンギクが生えていたが、ヨメナにごく 近縁な植物で双方を識別するのは難しいほどよく似ていた。ヨメナは田の畔や 田圃道などのやや湿り気のあるところを好み、ノコンギクは比較的乾いたところを 選んで生えていた。ヨメナもノコンギクも秋に向けて淡い青紫色のやさしい花を咲 かせるので、いずれも野菊と呼ばれて誰からも愛される草である。
 妻は若い頃から野菊のファンで、山へハイキングに出掛けた時は草原に咲く ノコンギクを見ては大喜びして、株元の小苗をそっといただいて持ち帰ることがあっ たが、庭に植えてまともに育つことはなかった。
 私は、ふだん植物の名を正式名で呼ぶことにこだわっていたが、妻と同じよう にこれらの草については野菊と呼んだ。不思議と違和感もなくむしろ愛おしさを 感じていたが、それは、子供の頃に読んだ伊藤左千夫の「野菊の墓」の印象が 残っていたからだった。
 伊藤左千夫は今の千葉県山武市の農家に生まれた。若い頃には酪農を 営んだこともあったそうだが、その後の、歌人・作家として活躍されたことについて は、あえてここで述べるまでもないことだ。
 代表作の「野菊の墓」は、生家とさほど遠くない矢切りの渡しで知られる松戸 が舞台だった。小説の筋書きはともかくも、私は、この野菊は何という名の草だ ったのだろうかと素朴な疑問を感じていたが、よくしたもので、何年か前にも同様 なことを考えた植物学者がいた。彼は舞台となった地域に自生するヨメナかノ コンギクだろうと思ったが、民子の墓が「松の生えた雑木林の中にあった・・・」と いう文章のくだりが決め手となって、ノコンギクにちがいないと判断したという。

 フィクションの世界に踏み込んでまでその植物を探すなんて、実にばかげたこ とだと思われるだろうが、私は、「野菊の墓」の舞台となった農村の風景は、ひょ っとして、作者自身が幼い頃に過ごした故郷の景色が重なって生じた幻影だ ったのかもしれないと思ったからである。そして、それが借景となって、さらに自身が 若い頃歩んできた思い出を“政夫と民子の切ない人生”に映し表現することで、 名作「野菊の墓」が誕生したのではないだろうかと勝手に想像をめぐらした。
 私は、このように素晴らしい物語の脇役を務めたノコンギクには、改めて、敬意 を表したい気持ちだった。数日前にラジオで聞いた「野菊の墓」の朗読を機に、 長いこと気になっていた野菊の真相を解明することが叶い、今朝の散歩道の 足取りはいつになく軽やかだった。