藤枝市から花の本が出版された。正しくは、発行者が藤枝市花の会で、企画編集が藤枝市花と緑の課となっている。
私が住んでいる市もそうだが、緑を謳う市町村は多い。しかし、ボランティアで定期的に公園掃除をしている我々が、
公園の木が枯れたので補植しようにも申請、認可が必要なうえに、緑化に逆行する指示が出るような市と違い、
“花と緑の課”がある藤枝市は大したものだ。
が、ここで書きたいのは、財政豊かな藤枝市を褒めたり羨んだりすることでなく、この本が長池泰弘さんによって執筆されていることだ。
A4判、60頁余の「花栽培の処方箋」と名うった本で、先般、ありがたいことに筆者である長池さんが私のところへ送ってくれた。
市販の園芸書、図鑑と違い、中高の教科書に記してあるようなことから、かなり学問的、専門的な内容まで、
図や写真を多用して、日常的な言葉で分かり易く記述してある。
これをプレゼンテーションソフト“パワーポイント”に落としたら、すばらしい講演ができると思う。
巻頭、目次などに目を通した後、この本をどのように同期生の皆に紹介したら良いだろうと思案しながら読み始めた。
読み進んでいるうちに、“土壌の三相構造”、“団粒構造”など、懐かしい言葉が目に入った。
読み終えてベッドに潜り込んだが、頭がさえて寝付けない。
たぶん土壌に関する言葉がキーになったのだろう。次々と学生時代のことが脳裏に浮かんできた。
浜教時代、農学とほとんど関係のない一般教養の退屈な科目のなかで、農学部らしい最初の授業は「土壌学」だった。
永田先生の講義で、“土壌の三相構造”、“団粒構造”、“礫”と言った術語を初めて習った。
そして、浜教一年次の教科のなかで、「土壌学」に次いで農学らしい教科は、近藤先生の「植物学」と飯田先生の「動物学」の講義だった。
「植物学」の期末試験問題は“光合成”について、「動物学」のそれは“水”について述べよという出題であったことも思い出した。
高校時代や大学入試の試験と違って、何も印刷されてない紙にひたすら文字を書き込む記述問題だったのだ。
農学部らしい科目に満足し、受講当初は張り切ったものの、ほとんど授業に出ていなかったうえに予想外な試験問題に面食らった。
しかし、その時一瞬、中学高校とは違うんだ、大学生なんだ、と何か誇らしく感じたのを覚えている。
授業をサボり気味の私と違い、マジメに受講していた吉田和矩くんから、
「動物学」の副読本として、飯田先生が「生命の起源と生化学」を薦めていると教えてもらった。
生命の起源というテーマと内容(*)に驚き、真剣に読んだ。
授業はあまり真面目に出席しなかったが、本だけは沢山読んだ。沢山読んだわりに、生涯でそれが役立つことはなかった気がする。
しかし、考えてみると、作者や本が悪いのではなく、どうも本の選択と本の読みこなし方に問題があったと今頃になって反省している。
教科の試験問題すべてが「植物学」や「動物学」のような記述形式なわけではない。
授業に出て、きちんと勉強しなければ、なかなか合格点のとれない科目もある。
そうした点では、第二外国語のドイツ語は悲惨なものだった。
おまけに我が静大農学部は、他言語選択の余地がなく、ドイツ語必修で8単位、二年間もあるのだ!
とにかく本試験で優とか良はおろか可ですらとれない科目なのだ。
したがって前期後期の試験毎、再試験、再々試験、下手すると再々々試験を受けることになるのだ。
10名ほどいた一回目の再試験受験者が、再試験を繰り返すごとに減っていき、
最後(?)の再試験を受けるわずかな数の受験者は互いに憐れみながらすっかり打ち解けあってしまう。
そうしたことがきっかけで仲良くなったなったのが星茂くんだった。
確か前期だけでなく、後期の再試験、再々試験でも星くんと一緒だったと記憶しているが、
あまり名誉でないことなので探求するのは止めにしよう。
東北弁なまりで授業をする先生は、ドイツ語と東北弁は発音が似ているので東北出身者(星茂くん、佐藤学くん、私の三名)にとって有利とかおっしゃっていたが、
東北弁を話せることと期末試験の成績はまったく関係がなかった。
それでも、再試験を何度も繰り返して頂いたおかげで留年することもなく、二年間で教養課程を卒業し、磐田の学部へ進級できた。
先生は教育学部統合で浜松から静岡へ赴任してしまうので、できの悪い学生の面倒をいつまでも見るわけにいかず、ほどほどのところで“可”をくれたに違いない、とオトナになってから気がついた。
話の脱線ついでに綴れば、驚いたことに、何の因果か入社した先の製造技術部門はドイツ語が必修だったのだ。
主要な機械装置のほとんどがドイツ製。当然、機械の操作説明書は英語かドイツ語。
隔月誌ZUCKERやZucker Industrieから必要な技術論文を輪番で翻訳するのは新入社員と若手社員の仕事だった。
ただし、勤務時間外で。
その当時は、スマホ翻訳アプリなんて無いどころか、算盤とタイガー計算機(手廻し機械式計算機)で計算する時代だった。
長池さん執筆の「ガーデニア」を紹介するつもりがすっかり脱線してしまった(長池さん、済みません)。
学生時代は金欠病の日々であったが楽しいことばかりだった。期末試験を除けば。
しかし、楽しかったことより、つらかったはずの試験に関する思い出が懐かしく次々と湧き出てくるのはどうしたことだろう。
学生時代の試験に関わる思い出は、まだまだある。
たとえば、大学入試/川本素材くん、最初の前期末試験/内田建和くん、生物実習/松本高明くん、体育実技/星茂くん、
貸ノート/坂部孝夫くん、発酵醸造学/本田登志夫くんのことなど、連鎖的に次々と湧いてくる。
なかでも、植田隆博くんの体育講義の試験は傑作で、今でも、
その時のすっとんきょうな彼の声が聞こえてくるような気がする。
直近のことだけでなく古いことも忘れるようになってきた今、
この先、何もかも忘れ去ってしまう前に、同期生の皆さんに、遠い昔の時効話と言え、
こうした試験にまつわる思い出を紹介してよいものか迷うところである。
【*】「生命の起源と生化学」で著者オパーリンは地球上で有機物が発生したとする“コアセルベート説”を唱えていた。
私はつい先まで深くそう信じていた。
ところが、はやぶさ2が持ち帰ったリュウグウの砂からアミノ酸が検出されたことに加え、
隕石にアミノ酸の痕跡があるということから、にわかに生命の起源“隕石説”が優位になったらしい。
地球に突入する時にとてつもない高温に晒されると思うがアミノ酸は無機化しないのだろうか?
藤垣さん、牧野さん、惣田さん、アミノ酸の中辻さん、誰か教えてください。