松本画伯の出展作 初夏の花
春/秋の院展開催にあわせた鑑賞会&懇親会が恒例の行事になって久しくなりましたが、今年は2月の記念展「同人たちの出世作といま」と4月の「第80回春の院展」二度ミニ同期会をおこないました。
中辻、井上、岩井、松本、大橋、北條
(前回2月参加の尾石、藤垣、吉田は欠席)
いつもの様に中辻くんが手配の懇親会で
紹興酒を何本か空けたこと、松本くんが藤枝へ帰るため途中退座したこと、帰途北條くんとふたりでフラフラと歩いて東京駅八重洲口から丸の内口へ渡ったことは覚えていましたが
しかし、大いに盛り上がった話の内容そのものはすっかり忘れてしまいました。なので報告は以上で終わりです。
ところが後日、中辻くんからメール
‥‥先輩の汐見さんと原島くんが高校の同級生だったとか、いろいろ初めて聞く情報まで飛び出して楽しい会でした.写真を送ります.次回は上野での院展の本展です.
が届きました。
これを読んで懇親会での話題を断片的に思い出すことができましたので
個人的思い出など多少尾ひれを付けて以下に記します。
この懇親会の翌週、金沢へ花見旅行に行ったが、日程に余裕があったので福井市郊外の一乗谷朝倉氏遺跡と永平寺に足を延ばした。
原島栄一くんとは直接会えなかったが『福井藩校明道館を祖とする県立藤島高校で汐見とは同級生。高校時代も現在も藤島高校へは徒歩距離の市中心部に住んでいる。“店”は昨年閉じたので店番をしないで済む』と電話で聞くことができた。
3年次の化学実習では最も国費予算の消化に貢献した学生。濾紙や試薬の消費は言うに及ばず、全閉のまま加熱し水蒸気ロケットを飛ばして枝付きフラスコを破壊。大型のデシケーターをもろに床に落とした時の破壊音はすさまじかったが、本人は慣れたもので堂々とと言うか颯爽たるものだった。
昨年閉鎖した店舗(ミドリ色で“栄文堂”とある)
訪問4度目の永平寺(今年は雪が多かったのか残雪が)と
一乗谷朝倉氏遺跡(最初の訪問時は遺石が並ぶだけの野原だったが復元された街並みに入ると当時の空間にタイムスリップ)
このほどようやくガラケー離れを成し遂げた藤垣くん。
ミニ同期会(飲み会)では何かと話題にあがる人気者。
出身校は1920年創立の下関中学校を前身とする県立下関西高等学校で、登山征男くん(植物病理)と同じ。
実家は下関本港を前にした細江町で醸造品(味噌、醤油、酒など)を扱う商いをしていた。細江町は関門鉄道トンネルが開通する前まで下関駅があった中心地で、現在は県内最大のオフィス街になっている。西隣りの町が歓楽街豊前田でそのとなりに現在の下関駅がある。
[井上私事:一時期工場のある下関へよく出張した.ある年の冬の夜、宿を出て豊前田に行く途中竹崎公園(通称三角公園)を通り抜けた時パァーン!と乾いた音がした.馴染みの小料理屋で飲み始めるとパトカーのサイレンが、しばらくして店の女将が「そこで鉄砲撃ちがあったんよ」.人生で初めて間近で聞いた銃声だった.登山くんの実家近くには私のお気に入り炉端焼き“まんなおし”がある.]
空中写真 1975年頃
下関西高(藤垣・登山)のように同期生ふたりの高校は、静岡県を除くと、国府(中村重蔵・鈴木不二夫)、岡崎北(富成清一・山口栄一)、神戸(加藤清六・飯田真之)、奈良(吉田和矩・中辻博尊)、鶴岡南(佐藤学・井上建雄)がある。
1888年創設の県立鶴岡南高等学校は2024年中高一貫校県立致道館中学校・高等学校に改組された
となりあった学校(長崎東/西、鳥取東/西)からの出身者がいるケースもある。
岩井くんはそのひとりで、実家からほど近い1922年設立旧制鳥取第二中学校を前身とする県立鳥取東高校の出身(岸本くんが鳥取西)。
知っての通り岩井くんは、研究室の匂坂さんと結婚したのだが、研究室で食べた匂坂さん手作り弁当の味を忘れられなかったのか責任をとったのかいまだ分かっていない。そのあたりのことは次回上野での院展&懇親会で岩井・松本両くんに問いただしてみたい。
三人だけの森林植物学研究室(岩井、斉藤、匂坂)
院展鑑賞会&懇親会の陰の主催者松本くんは1880年開校の三重県最古の県立津高等学校の出身。絵は幼少のころから上手だった。
今思えば浜教2年次前期に、ツユクサの気孔、斑入りマサキの葉の切片、ブタの精子、ヒヨコの腸管、イヌの心臓などをスケッチする実習と言うか、絵描きの教科があった。
私事になるが、小学校三学期6年間図画工作“だけ”は5を通した私にとってお茶の子さいさいの楽しい教科だった。2、3度の『a”』を除きすべて『a』の評価。ところが上には上がいるものでササッと短時間で書き上げて毎回『a』をとる松本くんがいた。
ある時、複数の学生が(個人名は控える)起こした“評価要求事件”があった。愕然としたがどう担当の村松先生が処置したものか、ここでは関係ないので仔細省略する。
6年前のミニ同期会in磐田でのこと、松本くん案内の旧赤松邸の懐石料理店“天宏”で昼食を取った。学生当時の我々にとってまったく無縁の処だったが「(農学部に近いのに)この店知らなかったの?自分は何度か(学生時代に)食べに来てたよ」と言っていたが、今回は「みんなが生協で昼飯を喰っていた時分、自分は弁当を食べていたので生協の学食は知らない」、「彼女らが代わるがわる作ってくる手弁当を農化校舎2階で一緒に食べていたので…」とのたまった。今回
初めて聞く情報に農化校舎を城にする中辻くんほか我々は悔しさと羨ましさで目が眩み酒量が一気に増えてしまった。
秋の院展&懇親会の際は、岩井くんともども、松本くんの“女嫌い”の真偽を確かめたい(ホントはあまり聞きたくないが)。
実家はJR紀伊本線とJR名松線および近鉄大阪線と近鉄名古屋線に囲まれたお屋敷群の一角を占める
農化2階の農製(森下)・地質(成瀬)・応微(野崎)とハイキング