アンポンタン老人 山陰道の旅

…  坂部孝夫(2025.10.08)


さてさて、同期の皆さま、残暑の中、引き続きお元気にお過ごしのこととお慶び申し上げます。
私は、この夏の猛暑の中、例の息子一家と山陰道の旅に出かけました。今回は、私の「石見銀山、温泉津温泉へ行きたい。」という要望が、一家の了承を得て実現したものであります。3泊4日の長旅でした。いつもの様に笑わないでください。
行程ですが、初日、中部国際空港から「出雲縁結び空港」へ飛び、その後レンタカーで西へ向かいました。

出雲空港の空港ビルの看板(ボーディングブリッジから)

出雲大社へ参拝後は、日本で一番背の高い「日御碕(ひのみさき)灯台」、室町時代には銀を世界の3分の1を産出していた「石見銀山(いわみぎんざん)」、銀の積出港である「温泉津温泉(ゆのつおんせん)」、萩市内の「明倫館学舎(めいりんかんがくしゃ)」、「松下村塾(しょうかそんじゅく)」、そして石灰台地にある「秋芳洞(あきよしどう)」への旅です。最後の宿泊場所は小倉でしたので、「松本清張記念館」、「TOTOミュージアム」、「香椎神宮」、「太宰府天満宮」を経由して帰りました。大変、疲れました。現在、夏バテ中です。それでは順に記憶に残る第1日目と2日目の印象深い場面をご紹介します。
第3日目と4日目は、次回、執筆する体力がありましたら書きます。ご期待ください。

第1日目(日御碕、温泉津温泉)
出雲空港にお昼の12時に降り立った私たちは早速、出雲大社へお参りです。その後、車で30分の日御碕です。ここはウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている経島(ふみしま)があります。季節になるとウミネコの大群が営巣します。灯台は塔頂まで43.65m(ビル7階建てに相当)、石造灯台としては日本一の高さを誇ります。
日本海がきれいに見えました。息子一家は灯台に上りましたが、私は「7階まで階段で上る? それは無理だ。」と言い、下で待っていました。

日御碕灯台、私は下で日本海を眺めていました

その日は「温泉津温泉」で一泊です。ひなびた、静かな、落ち着きのある、古い町並みで、上品で味わい深い風情満点の温泉街でした。大満足。大満足。
道幅は狭く、緩やかなカーブをしながら500mほど続きます。浴衣姿で歩くことができ、共同浴場もあります。散歩している人はほとんど浴衣姿で、年配の人がちらほら居ました。

夕暮れ前の温泉街、静かなたたずまいが気に入りました

温泉津温泉は「温泉」で「ゆ」と読み、「津」は「つ」です。その間に「の」を入れて「ゆのつ」と読むのです。道の途中には、大正時代のどこか懐かしく優雅な雰囲気のある共同浴場がありました。入り口正面に「薬師湯(やくしゆ)」と書かれています。入浴料は大人600円(子供300円)です。

孫たちと共同浴場「薬師湯」の前にて、孫のほうが背が高い。 (背は伸びるが、成績は伸びない。)

中へ入ると、これもまたすごい温泉場でして、『湯の華』が湯船のふち、床一面、かけ流しのお湯の出口など、浴場一面にコビリついているのです。その厚さは見たところ2~3㎝もあるのです。床の部分であるタイルがほとんど見えません。体を洗う設備はありません。もちろんシャワーもありません。ただ湯船に浸かるだけです。本当にびっくりしました。しかも、湯の温度が50℃近いと思われるほど熱く、湯船に入るのも必死の思いでした。本当に、お茶で飲んでも呑めないほどの熱さという感じでした。こんな温泉初めてです。私たちは入泉料を取り戻すべく、全員首まで浸かりました。大変でした。(残念ですが、浴場内は撮影禁止でした。)

<参考>
ちなみに、熱い湯に入る秘訣は、①まず、湯を湯桶で肩から2~3回、大胆にジャブジャブかける。②足先からゆっくり入るのではなく、湯船へ一気にザブンと入る。③湯船に入ったら、頭にタオルを掛け、数分間静かにめい想する。④出るときは一気に出る、です。これは、10数年前のこと、栃木県の那須湯元温泉(この湯も50℃近いと思われるものでした。)に行った時、入浴していた地元のおじいさん達に教えていただいた方法です。


薬師湯:湯の華で湯船の縁や床が見えない。(温泉津温泉ホームページより)

一方、宿泊した旅館には、内湯が3か所あり、食事も、日本海の幸がいっぱいで美味しくいただきました。満足。満足。
参考ですが、「温泉津温泉」を知ったキッカケは、私が愛知県庁職員の時に、経産省から愛知県に出向で来ていた人と宴席で隣の席になり、その時にその人が盛んに「温泉津温泉は絶対行くべきだ。」とお話をいただいたことによるものです。後から聞いたのですが、その人は島根県出身の経産省エリート官僚でした。びっくり、そして感謝。感謝。
翌朝、温泉津港を散歩しました。漁船が数隻停泊していて、小高く濃い緑色の山が港にせまっています。そのほかは何もない静かな漁港でした。昔、大いに繁栄した姿はありませんでしたが、趣はしっかりありました。

第2日目(石見銀山、萩まで)
石見銀山は、以前から一度行きたいと思っていました。私は世界遺産に登録される前から知っていまして、なぜ、「石見」と書いて、「いわみ」と言うのだろうと不思議に思っていました。そう言えば、京都にある「石清水八幡宮」も「いわしみず」ということを思い出しました。ほぼ10年前と記憶していますが、石清水八幡宮へ参拝した時のことです。お守りを売っている売店の若い巫女さんに、どうして「石清水」を「いわしみず」というのですか、と聞きましたら「はぁ~?」と言ってつれない返事。答えがありませんでした。残念。
ともあれ、石見銀山はかなり山奥で、JR山陰本線大田市駅から公共交通機関(乗合バス)で約30分です。バスの本数も少ないようです。私たち5人はレンタカーですので、温泉津温泉から20分ほどで着きました。そのあと10分弱ほどシャトルバスに乗り換え、銀山で栄えた街並みの入り口、「大森」まで行きます。


石見銀山入り口、大森の町並み、所々、お土産店や喫茶店がありました

その奥は自動車進入禁止です。行きは1時間ほどのダラダラした上り坂でしたので、いつもの様に『オオチャク旅』を決めました。ゴルフ場にあるカート(6人乗り)のような乗り物に乗って、5人で1000円を超す乗車料金を払い、終点の石見銀山の入り口まで行きました。
道路沿いには、江戸時代の武家屋敷や代官所跡、石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅など、歴史的な建造物が並び、当時の面影を残す大森の町並みは昔の姿をそのまま残し、ギラギラした雰囲気はなく落ち着いた街並みでした。観光客も居ましたが、ニッチな場所でしょうか、頭がボサボサで長髪の人、髭ズラの人、辛子色の古いリックを担いだ人など、ギラギラした人はいなく、むしろ一風変わった人が目につきました。孫たちはこの風景を理解できないようでしたが、私は充分満足です。やはり、山陰はいいなぁ~、と思いました。
鉱山の入り口は「間歩(まぶ)」というのだそうです。石見銀山には何百という間歩がありますが、観光施設として整備されている間歩は「龍源寺間歩」だけでした。入場券の販売人、切符モギリの人は全て、男性のお年寄でした。私より年配に見えました。多分、リタイアー組のアルバイトさんと思います。華やかさはありませんでした。


龍源寺間歩(まぶ)の入り口

龍源寺間歩の奥に入ると、石見銀山の歴史、採掘の様子を表現した図、銀鉱石の岩石など様々な展示がありました。印象に残った説明は「日本海沖合から舟で見ると、キラキラと光る山があったのでその山を調べると銀鉱石が露出
しているところがあった。」という、石見銀山発見の話でした。「嘘だぁ~。」と思ってはいけません。
間歩の外は30℃を超す暑さでしたが、間歩の中に入ると坑道内の気温はほぼ17℃です。急に涼しくなり快適でしたが、返って寒く感じました。天井は低く頭スレスレ、幅も1m程度で狭く、壁、床、天井などは湧き水で濡れていました。しかし、電灯の明かりはしっかり明るいので、問題なく歩きました。歩く長さは約300m、一方通行でほぼ水平です。間歩を出ると再び暑い日差しが照り付けてきました。


坑道入り口(間歩)で記念撮影。お腹が・・・・

バス停までの帰り道は、やや下り坂でしたのでそれほど疲れはなく、1時間ほど大森の町を散策してバス停にたどり着きました。その後、観光案内センターでお土産を買わず、見て帰りました。というのは、豊臣秀吉が作成した「銀大判のレプリカ」などが4千円、本物の銀製ブローチやネクタイピンが2万円程で売っていましたが、高価で手が出ませんでした。しかし、「これが世界の歴史を動かした石見銀山であるのか。」と思うと、感無量でした。
 石見銀山を観光した後、山陰道を西に走って、萩を目指しました。山口県に入ると、ガードレールがミカン色のものばかりです。不思議に思い、携帯のネットで調べると、以前、「山口国体」の開催に合わせて、ガードレールを全てミカン色にしたということです。その理由を調べると、山口の「萩藩」は、廃藩置県で浪人となった武士達が、自宅の日本庭園を壊し、そこに夏ミカンの木を植えて、ミカンを生産、販売し生活の糧にしたということです。確かに、白壁の奥にある屋敷内にはミカンの木が白壁越しに緑いっぱいに見えました。萩市内にはミカンに関するものが多く、例えば、「ミカン調剤薬局」なんていうものもありました。
 
<追加のお話>
一般的に、神社仏閣の階段は長く、急こう配です。このため、今回は、旅の道ずれに登山で使っていました登山用杖を持って歩きました。そうしたら、私の杖を持った姿を見て、様々な方々のお声掛けがありました。私はその都度「有難うございます。大丈夫です。」と答えることとなりました。
(1)中部国際空港で、搭乗手続きをしていましたら、JALの女性係員が「何かお手伝い出来ることはありませんか?」とお声掛けをいただきましたので、「有難うございます。大丈夫です。」と答えました。
(2)石見銀山のシャトルバスに乗った時、席が空いていなかったのですが、若い女性が席を譲ろうと立ち上がりかけました。私は、「有難うございます。大丈夫です。」と答えました。女性はニッコリとしてウナズキました。
(3)萩市の明倫館学舎で入場券を買いましたら、受付のおばさんが「階段が何か所かありますが大丈夫ですか? 電動階段昇降機を使いますか?」とお声掛けがありました。実は、一度、昇降機に乗ってみたかったのですが、「有難うございます。大丈夫です。」と答えました。


旅の道ずれの『登山用の杖』 モンベル製です

つまり、結果から申しますと、様々な人々、特に女性と会話が出来て、『杖を持つのも悪くないなぁ~。』と思いました。「会話」と「転ばぬ先の杖」と一石二鳥の効果があります。皆様もぜひ『つえ』をついて元気に外出してください。
                おしまい。

これから、冬に向かい寒くなります。インフルエンザ、コロナには十分ご注意ください。そして、『杖』をついて、元気に毎日を過ごされることを祈念いたしております。
それでは、皆さん,ごきげんよう。さようなら。また、書きます。
      遠く愛知の地から  坂部孝夫より。